nemo創作インタビュウ その2

前回までのインタビュウその1

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「社会的になった4人の原始的な中身を知りたい」
(宝子)


― 公演に至るまでの動機は?

宝子:さっきも似たような事を言いましたが、今、この4人を合わせてみたら、何が出来るだろうという興味があって。それだけですね。

— この4人じゃなきゃいけなかった?

宝子:みんなそれぞれ社会的になって来ている(笑)。というか、社会に向かって自分の作品を創りはじめていて、出会った当時は、当たり前ですけど、もっと原始的というか、もちろん荒削りで、そういう時代から一緒になんやかんや関わっていて。今、じゃあ元々あった彼らの原始的な中身はどうなっているのか?というものが気になって。それで4人を集めました。あとは、私の好みです(笑)。

― では、自分以外の3人はどう見えてますか?

宝子:アオケンの絵は、もちろん面白いなあというのはあるし、最近、芝居をやったりとか演出をしたりとか、みんなマルチで。省念とかも、もともと絵描きなんですが、絵を描いたりしていて、みんなマルチな視野を持っているなあと。そういう所が、良いなーと。アオケンに関しては、昔はアナログでやってることが、最近はデジタルな仕事も多くなって。その中で、また一緒に向きあって、アオケン自身の仕事じゃない等身大の表現を見てみたいなという感じ。省念は、昔から歌はうたってたんですけど、『くるり』を脱退してからの省念っていうのが、すごい力強くなっているのを聞いて、その音楽がすごい強烈という印象。東洋くんと私は、なんでもかんでも一緒で、その時は大抵いつも彼が主宰だったりして色々背負うものがあって、そこから抜け出して、今回は踊りに集中してもらって、東洋くんの踊りというものを見せられたらなあと。

― 東洋さんは、どういう興味を持ってnemoに参加されていますか?

東洋:僕は、きっかけということでいうと、『くるり』を辞めたあとの省念のライブに行ったんです。カフェみたいなところで弾き語りだったんですが、その時に感動して。元々、省念のセンスとか表現が好きだったんですけど、一緒にもやってきたりもしてたんですけど、省念がひとりでやってる時の発信力、社会に対しての向きあい方みたいのが、ものすごいはっきりとまざまざと見せつけられたような感じがあって。僕もどうやって外に向けばいいんだろう?コアな部分について考えざるを得なくなっていて。で、今の省念の現実の中での遊びというのがあるし、こういう人とやりたいという思いが、その時にはっきりと生まれたんです。その時、宝子と一緒に見ていて、アオケンとも一緒やりたいねとなって、普段の自分の活動の『トンデ空静』という可能性もあったんですけど、少なくとも4人がいて、4人以外は曖昧だったところで、宝子がこの4人でやりたいって言って。じゃあ、他の夢は一旦あきらめて笑、夢というのは、他の人もプラスされるような事は諦めて。4人でやるのが面白いと思ったのがきっかけですかね。誘われたというより、自分の中では、主体的な脈略ですね。

― 東洋さんから見て、青山さんはどういう存在ですか?

東洋:すごく個人的な事を言うと、ずっと活動してきた色々な人たちの中で、同じ年なんですね。感覚的な並走者っていう感じが個人的にはあって。続けているし、感覚が近いというか。だから、違いが認めやすいというか、同じ時代を同じスピードで社会を感じていて、生活とか舞台の活動とか、共有意識というのがあって、その上で、僕とアオケンという人が違うみたいなことで。ペースとしても理解しやすくて。でも、アオケンの方が早いっていうのもあって。早いなりの理由があるんだなと思うし、遅いなりの理由があるんだなといつも思うというか。プライベートなところで活動している同士としてのバロメーターみたいなところもある。なんで一緒に創りたいかというと、みんなアウトプットの仕方を意識しはじめていて、それぞれのジャンルから追いつかなくなったものを創造しだしたという所で、未曾有な、今がチャンス、これから大きな時代が来るぞという感じですね。

― 東洋さんから見て、宝子さんはどういう存在ですか?

東洋:一番簡単にいうと成り行きで笑。僕にとっては、ずっと踊りのパートナーであるし、生活のパートナーでもある中で、一心同体性というか、ぼくが何かやろうと思ったときには宝子が居てくれるというのが僕の中ではあって。なんで一緒にやりたいと思ったかというと、当たり前のようにはじめたということです。はじめてみて、今までになくお互い個人がぶつかり出すんで、過去最大のピンチっていう感じになってます(笑)。

— 作品創りの先輩の東洋さんから見て、宝子さんをどうおもいますか?

東洋:宝子は……、というか女性ということから見て、おそらくそうだと思うんですけど、舵取りの仕方が巫女というか、天の声みたいだと思うんですよね。これは、宝子に限らず、女性がリードする局面で、結構僕は印象があるんです。男は理屈を、一応なり持っていて、混乱したときに理屈をもって整理して解決する手段を取るし、僕もやっぱり理解されないのは良いけど、でも理屈で処理しようという話になってくる。計算で出す、計算の認識の仕方っていうか。少なくとも宝子は、僕らとやってきたから色んなことに影響されているとは思うんですけど、その出来なさを突っ込んでいたら埒があかないというのはあるんですけど、少なくとも巫女的な力を発揮しているんですね。

― それは、面白がっているという理解でいいんですよね?

東洋:そうです、そうです。リーダーシップというのは、僕が経験則で分かっている部分があるから、宝子がやったほうが良いと思うことは言ったりすることはあるにはある。見えてないところを助けるみたいな。

― 省念さんが変わったと聞きましたが、その点については?

東洋:省念とは、元々出会った頃にやっていたのが、地元の仲間とセッションするだけのバンドをやっていて。それがすごく良くて、それが親しくなったきっかけでもあったんですけど。当時の省念は、昼間に絵を描いて、友達とおしゃべりして、夕方に友達とセッションしたり、スタジオがライブハウスにかわったり、非常にナチュラルにマイペースな生活をしていた。ぼくは一緒にやりたいから、東京から京都に押しかけたりしていたんですが、その時は、構築する話が一切できなかった。創っていくという話や構成の話が、全然できなくて。省念とは理屈で構築していく話はできないのかな?という感触があって、省念あるいは京都がそういう場所なのかなとも思ったりして(笑)。
でも、今の省念の作品創りというのは、ものすごく緻密に組み立てられている。構築がすごくて、当時の省念は構築することを人一倍持たない人だったのに、今や僕らの仲間では、あんなに構築できる人はいないだろうというくらい緻密な詰めをする。当時というのは15年位前ですかね。元々持っていた荒削りなサウンド感も良くて。絵を描いていたから空間性も持っていて、そして構築もできる。可能性としては絶大な条件を兼ね備えているとうのがありますね。音楽も区分けしない人間で、話が誰よりもできる。空間の話も、他のミュージシャンとはできないけど、彼とはできるという違いがありますね。

【続きます】

⇒インタビュウその3

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